レゲエの最近のブログ記事

JASRACが音楽教室からの徴収を4月1日からはじめましたが、これにより音楽教室が管理曲以外のクラシックなどを選択するようになり、結果として日本の音楽文化は衰退していくものと見られています。

この音楽教室についてですが、中学や高校などの学校教育での授業については対象ではなく、どちらかというとカルチャー教室のような営利目的での音楽教室が対象になります。教室とはいえ、音楽教室では月謝をとって営利目的に経営されているため、著作権料を徴収するとのことです。

ちなみに、個人経営の場合は対象外となるようで、ヤマハとかカワイなどの大手音楽教室がターゲットになっているものと思います。音楽教室といっても様々あり、高齢者が趣味で楽しみのために通っているところから徴収するということなのかもしれません。

個人的には音楽のない方が好みですので、どんどん規制して徴収して欲しいです。街のいたるところでコマーシャルソングが雑音のように垂れ流されている状態よりも、静寂な街並みの方が気品がありますし感慨深いものがあります。

いわゆる「Jポップ文化」というのがありますが、最近ではテレビでもカラオケの点数を競うような番組もあり、素人が歌ううまくもないカラオケを聞いて何が楽しいのかぼくにはよくわかりません。握手会でCDを売りさばくようなJポップ文化なるものは、ない方がよほど洗練された文化に繋がっていくと思います。

今後、JASRACが徴収対象を広げていくことにより、日本の流行歌はあまり耳にする機会がなくなっていくものと思いますが、それはそれでまったく悪いことではないとぼくは考えており、むしろなくなってほしい気持ちもあります。

北海道の夏フェス音楽イベント「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2017 in EZO」が開催されますが、今年2017年はビーズが参加するようです。今年は11日(金)と12日(土)の開催となっており、例年にも増して盛り上がりそうな気がしております。

友達が毎年参加しているものの僕自身は一度も行ったことがないのですが、ビーズが参加するとなれば今年は行ってみようかなと考えてます。大御所の久保田氏に加え、稲川氏も参加されるとのことで、2016年は6,7000人だったようなのですが、今年は7万人ぐらいは行くかもしれません。

チケットの料金は11日が9,300円、12日が13,000円となっており、通し入場券が18,500円です。ビーズの出演が11日、久保田氏の出演が12日とのことですが、同じ時間帯で出演するアーティストも何組かいるようで、このあたりの様子も気になります。

ただ、テントスペースや駐車場は7月13日時点ですでにSOLD OUTとなっているようで時すでに遅しでした。友達はおそらくチケットをとっているはずですが、そっちのグループとは面識がないため、違う友達を誘っていこうと思ってたものの、テントや駐車場がないとなると今年は諦めました。

叔父がこの石狩あたりに山林を持っているようなのですが、地図上では近い気がするものの、実際はけっこう離れているはずなので、たぶん駐車はできない気がします。

ヤフオクにもチケットが出ているようなのですが、トラブルがあると嫌なんでやめました。来年はアーティストにもよりますが、もし参加するならはやめにチケットをとっておこうと思います。

札幌市では「YOSAKOIソーラン祭り」が毎年の恒例行事となっておりますが、今年(2017年)は6月7日(水)~11日(日)まで開催される予定となっています。

けれども、このYOSAKOIソーラン祭り、地元札幌では非常に嫌われており、この時期になると交通規制や騒音などで憂鬱になる人が多いです。このYOSAKOI祭りの後には北海道神宮の夏祭りがあり、こちらの方は古くからある祭りで100年以上の歴史と風情があり、札幌市民には親しまれています。

けれども、YOSAKOIについては祭り特有の品格や風情があまりなく、また歴史も25年程度と浅く、ただうるさいだけで交通規制がひかれる祭りのため、この時期には地元の札幌市民は外出を控える傾向にあります。

これは東京ドームから札幌ドームへと移転してきた日ハムファイターズと事情が似ており、野球ファンではない札幌市民にとっては交通機関が混雑するので嫌っている人も多いです。そのような状況のため、日ハムが北広島へ球場移転が決まったことで喜んでいる市民も多いです。

ただ、YOSAKOIにしろ、日ハムにしろ、商業的にはイベント開催で潤う企業も多い側面があります。すすきの飲食店ではYOSAKOIで客足が増えますし、日ハムが勝ったら割引のようなイベントをやっている店舗も多く、会社主導で応援しているケースも多いです。

そのため、あまり声を大にして反対できない実態があり、しぶしぶながら歩調を合わせてはいるものの、内心では冷め切っているのが実態となっています。

これは主観ですが、日ハムが北広島市(北海道)へ本拠地を移転するように、YOSAKOIも北広島で開催するのが一番よいのではないでしょうか?

決してYOSAKOIや日ハムを批判しているわけではありませんが、無理をして札幌市民に根付かせなくてもよいと思うのです。よさこいは高知の祭りですので、もともと北海道には何のゆかりもないわけですし、日ハムについてももともと札幌(北海道)の球団ではありません。

何もないのはさびしいからという理由で、無理をして地域に根付かせる必要などどこにもなく、ないならないでそれでよいのです。

古き良き時代の品と風情のある札幌の初夏を取り戻すため、市内の中心部ではYOSAKOI禁止区域を設け、郊外で開催する体制をとった方がよいのではないかと考えております。

バンギャルの生態は理解不能だ

ここ数年ほどバンド好きの女の子と遊んでいたのですが、その子はライブ好きで飛行機にのって頻繁に地方まで遠征にいっていました。常々、ライブを中心とした生活に疑問を感じてはいたのですが、変わった子だなー、疲れないのかなーぐらいにしか考えていなかったのです。

あまりにおっかけ活動が熱心すぎるとは感じていたものの、楽しみを壊すようなことはしたくなかったため、特に詮索することもなくこれまで我関せずを貫いてきました。

けれども、最近、地方のライブに行くには東京の方が便利だから、上京して仕事を探し、生活の基盤を東京に移すと言い出したのです。年に何回かは地元に帰ってくるから、その時に会おうという話でした。

その子は正社員で地元ではわりと有名な会社に勤めていたのですが、ライブのためにこれまでの職歴や人間関係を変えるのは理解できません。時間的な融通が利かない不便さがあるのかもしれませんが、ボーナスなどもある会社でしたので、それを捨ててまで知らない土地でフリーターのような仕事をするのは理解できなかったわけです。

事ここに至って何かがおかしいと感じ、ネット上で調べてみたのですが、彼女はいわゆる「バンギャル(※Band Gals バンドギャル)」というカテゴリの子だったことがわかりました。てっきりガールズバンドのおっかけと思っていたのですが、いわゆる男のビジュアル系バンドのようで、よからぬ情報がネット上では氾濫しています。

お金を出してバンドメンバーに抱いてもらう、風俗産業で稼いで金品を貢ぐ、あるいはAKB商法のようなCDを何枚も買ったり、写真を買ったりしてバンドを支えるような、そんな情報がネット上では多く見受けられるのです。

金額自体はそう大したものではないと思いますが、おそらくはホストに貢いでいるような感じなのではないかという疑念が生じてしまったわけです。また、バンギャルサイドでは一般人を「パンピ」と呼んでいるようで、閉鎖的なアンダーグラウンドな世界という印象を持ちました。

ぼくらの時代のライブといえば、ヒムロックやコンプレックスなどが主流でしたが、その子がはまっているビジュアル系バンドとは音楽性の違いを強く感じています。ライブでは首をふりまわす儀式?などもあるようで、新興宗教に出家してしまったような、そんなあやうさを感じてしまうわけです。

ただ、幸いなことに、宗教とは違って時が経てばこちらの世界に戻ってきてくれそうな気もしています。友人、知人にバンドやってた人が何人かいますが、だいたい25前後ぐらいでバンドを解散して職探しをしていたパターンが多かったです。

なかには27歳ぐらいまで派遣でバンドを続けていた友人もいますが、生活がカツカツ状態だったため、生活費を援助していた時期もあり、音楽の世界で食べていくには相当厳しいという印象があります。そのあたりの区別はついていると思いますので、あと1年もすれば、バンド解散を機にこちらの世界に戻ってきてくれそうな気もしています。

新興宗教やホストの場合はどっぷり漬かってしまう可能性がありますが、バンギャルの場合はまだあっさり帰ってきてくれそうな気もするのです。

あなたのキスを数えましょうという曲がありましたが、今さらながらいい曲だなと感じるようになりました。

今では既に失恋しているのですが、遡ること2か月ほど前、ひと目ぼれをした女性がおりました。今までふた目惚れや3目惚れぐらいはちょくちょくしていたのですが、私にとって1瞬で恋におちたのはその女性がはじめてのことだったのです。

人はなぜ1瞬で恋におちるのか?

私は目からその人のすべてを理解して恋に落ちるのだと考えております。目は口ほどにものをいうといいますが、目を見れば、その人がこれまでどういった人生を歩んできた女性なのかはだいたい想像がつきます。いじわるそうとか、優しそうとか、あるいは力づよいとか、自信とか誠実そうとか真面目とか、だいたい目は嘘をつくことがありません。

その子は今まで出逢った女性のなかでも、最高に優しく美しい瞳をしていました。また、実際に話してみてもやさしく素敵な女性でした。エマワトソンをちょっとかわいくしたぐらいの女の子でしたが、出会えたことはまさに奇跡としかいいようがありませんでした。

それからというもの、毎日のようにちゅっちゅっ、ちゅっちゅしていたのですが、何だかんだで自分の愚かさから別れる結果になっております。サヨナラしてからというもの、暫くの間は茫然自失としていたのですが、最近になってようやく穏やかな日常を取り戻しつつあります。

そんななか、ふと思い出した曲があなたのキスを数えましょうという曲です。

実際、その子とはわずかな時間しか会えてはいなかったので、それほど多くの想い出はありません。想い出すことといえば、その子の優しい笑顔と毎日のように交わしたキスぐらいです。

今になってふと、何回キスしたんだろうと考えてしまうわけですが、そんなとき、上記の曲が頭をかすめるようになったのです。「あんな近くに触れたのに」とか「出逢わなければよかったの?」とか、月並みなフレーズですが、ずっしり心に響きます。

今まで特にその曲に興味はなかったのですが、今さらながらよい曲だなと思うようになりました。

以前まではキスを数えてどうすんだ、意味不明と考えていたものですが、数えるというのは思い出すという意味だったのですね。一番最初のためらいがちのキスから、まっぱで強く抱き合ってのキスまで、ひとつひとつ思い出すたび、せつなさがこみ上げます。

ま、男がキスを思い出して感傷に浸っていてもキモイだけなんですけどね...。

これまでいつもそうだったのですが、僕は恋愛や女性に対して非常に重きを置いてきたように思います。特に、好意を持って惚れてしまった女性に対してはそうです。

けれども、重きを置けば置くほど、その恋愛がかなうことはありませんでした。あまり気にはならない女性からは惚れられてしまうことも多い一方、落としたい、付き合いたい、惚れたいと思った女性との恋愛はなぜかうまくいかなかったのです。

これはなぜなのか?

この原因を考えてみますに、意識しすぎてしまうのが問題なのだろうと思います。
惚れたら負けとはよく言われていますが、実際のところ、恋愛においては落ちてしまった方が負けです。落ちるということは溺れることと等しいです。その苦しみから藁をもすがる気持ちになり、相手や恋愛に依存してしまうわけです。

また、そのような惚れている状態になってしまった場合、正常な判断やいつもどおりの接し方ができなくなってしまいます。いわゆる酒に酔っているような状態になってしまい、あとから思い直すと恥ずかしい行動をとってしまうことも多くなりがちです。

つまり、自滅してその恋愛を壊してしまうのは自分自身なのです。

ヒットミュージックなどはたいていは恋愛をテーマにした音楽が多いですが、これらの音楽を無意識に聞くことによる恋愛至上主義の弊害ともいえるかもしれません。

この惚れた状態に対する解決策として、もし惚れた女性が出来た場合、いつもどおりの状態で接することができるまで一旦はクールダウンすることをおすすめします。恋は盲目といわれますが、モヤーとしている状態の男性に興味を持つ女性は少ないものです。

惚れた女性を口説くのは、シラフの正常な状態の時に淡々と余裕を持って口説かなくてはいけません。恋愛に重きを置いてしまい、何もかもかけてもよいという状態になってしまった男性には余裕が感じれらなくなり、その魅力が急速に減少していきます。

こちらが真剣になればなるほど、相手は安心して退屈してしまいますし、相手が真剣になればなるほど、こちらが退屈になってしまうものです。気持ちをコントロールして、お互いがほどよい緊張感や不安感の元で恋愛していくことをおすすめします。

もし、今惚れている女性がいる場合、四六時中、その子のことを考えてしまっているかと思いますが、頭からきれいさっぱり忘れてしまえるかどうかに、恋愛の成否がかかっているといっても過言ではないでしょう。

ヒップホップとR&B,レゲエの違いは正直まったくわからないのですが、以前の同僚に詳しく聞いたことがあります。その同僚は長髪でヒップポップ好きのレゲエ君だったですが、薄暗い感じの部屋でお香を炊いたりしていた記憶があります。

着るものにもこったりしていて、裏原とか代官山、恵比寿のセレクトショップなどでオシャレなアイテムを買い集めているような人でした。もちろん、ピアスなんかもしていたりして、レコードでヒップホップやR&B,あるいはレゲエなどを聞いている感じの人です。

私は生来、真面目人間なもので、このレゲエ君とはジャンルが違うと感じていたものですが、最初は多少、近づきにくかったものの、話してみるとまぁ普通の人でして、それからつるんだりするようになったわけです。
もちろん、会社の寮の同居人だったもので自然と仲良くせざるを得なかったわけですが、まったくのカテゴリー違いの人と話してみるのもたまにはいいかもしれません。

そのレゲエ君があれこれとヒップホップについて教えてくれるわけですが、日本の音楽シーンとはやはりクオリティーが違うものと感じたものでした。おそらく、ヒップホップに詳しい友人がいないと、一生聞くことがなかったかもしれません。

でも、今はインターネットの時代です。

よい曲をご紹介してくれるサイトなどもありますし、ネット上でCDを購入したり、ユーチューブで聴いてみたり、あるいは音楽配信なども利用することができます。レゲエやヒップホップに詳しい友達がいない人でも、ネット上で探してみることをおすすめします。

先日、龍のティーシャツを購入したのですが、それを着ると不思議なことに精神的に切れやすくなってしまいます。短気になるというか、ちょっとしたことでも攻撃的になってしまうため、せっかく購入したもののすぐに捨ててしまいました。

そっち系の人が背中に龍の入れ墨をしたりしていますが、ただ何となく入れているわけでなく、これはそういった意味があるのだなということを今回はじめて理解することができました。

龍は神聖な生き物なので、それを背中に背負うのには覚悟が必要となります。

入れ墨は一生消えないし、入れるのにも痛みが伴うため覚悟が必要という面があるのかもしれませんが、そのエネルギーを背負い込むこと自体に覚悟の側面があるように僕は感じています。得られるエネルギーは大きなものがあるかもしれませんが、力強く大きいがゆえ、諍いなどが多くなってしまうのかもしれません。

感覚的には、神との契約を背負うような意味合いがあると感じています。

ゲーテの作品にファウストがありますが、悪魔メフィストフェレスとの契約のような、何かを背負った上で得られるエネルギーなのではないか、僕はそう感じてしまいます。

某野球選手も背中にタトゥーが入っており、名声やお金など多くのものが手に入ったものの、最後には人生が破滅してしまいました。

ミュージシャンなど、ファッション感覚で龍のタトゥーを入れる人が多いのかもしれませんが、一度入れてしまうと消すことはなかなか難しいものがあります。そのエネルギーを背負う器がない限り、その力に振り回されてしまうはずです。

入れ墨やタトゥーは気軽に入れてしまうと、それが一生消えないということよりも、そのような背負ってしまうことによる負担の方が大きなものがあるのかもしれません。

夏ももう終わりに近づいてきましたが、まだ、今年の残暑はまだまだ続きそうです。こんな蒸し暑い夏は、ビールを片手にビーチパーティーなんかをするのがいいかもしれませんね。レゲエなんかを流して、海を満喫するのがサイコーです。個人的にはレゲエはあまり聴かないのですが、ボブ・マーリーなんかは聴いたりします。ボブのソウルがハートに響いてきて、開放的な気分になるのです。

真夏のあっつい時期に、ビーチでビールを片手にボプ・マーリーなんかをたしなむのが一番いいんですけど、それに見合うビーチでないとふいんき的なものもあるので、基本的には沖縄とか、バリとか、そういうリゾート地の方がおすすめです。やはり、太平洋と日本海では、若干、ふいんきが違ってきてしまうのです。

日本海側の場合、わりと岩が多く、砂浜も灰色のケースが多いですし、あまり太陽がのぼってこない感じですし、風なんかもあまりカラっとしてないケースが多いです。決して日本海を批判しているわけではありませんが、レゲエがマッチするのは、やはり太平洋です。沈み行く夕日をながめながら、ビールを飲む。これが一番です。

ただ、ビーチでレゲエを流していると、なかにはうるさいって言ってくる人もいますので、周囲には気を配るようにしましょう。できれば、人が少なくなってきたこの時期にパーティーするのがおすすめです。